エレメントリスト

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私はまだ三十にもならぬに、濃い髪の毛が、一本も残らず真白になっている。この様な不思議な人間が外にあろうか。嘗て白頭宰相と云われた人にも劣らぬ見事な綿帽子が、若い私の頭上にかぶさっているのだ。私の身の上を知らぬ人は、私に会うと第一に私の頭に不審の目を向ける。無遠慮な人は、挨拶がすむかすまぬに、先まず私の白頭についていぶかしげに質問する。これは男女に拘わらず私を悩ます所の質問であるが、その外にもう一つ、私の家内と極く親しい婦人丈だけがそっと私に聞きに来る疑問がある。少々無躾に亙るが、それは私の妻の腰の左側の腿ももの上部の所にある、恐ろしく大きな傷の痕についてである。そこには不規則な円形の、大手術の跡あとかと見える、むごたらしい赤あざがあるのだ。

見出し3

この二つの異様な事柄は、併し、別段私達の秘密だと云う訳ではないし、私は殊更にそれらのものの原因について語ることを拒む訳でもない。ただ、私の話を相手に分からせることが非常に面倒なのだ。それについては実に長々しい物語があるのだし、又仮令たとえその煩しさを我慢して話をして見た所で、私の話のし方が下手なせいもあろうけれど、聞手は私の話を容易に信じてはくれない。大抵の人は「まさかそんなことが」と頭から相手にしない。私が大法螺吹か何ぞの様に云う。私の白頭と、妻の傷痕という、れっきとした証拠物があるにも拘らず、人々は信用しない。それ程私達の経験した事柄というのは奇怪至極なものであったのだ。

見出し4

私は、嘗て「白髪鬼」という小説を読んだことがある。それには、ある貴族が早過ぎた埋葬に会って、出るに出られぬ墓場の中で死の苦しみを嘗めた為、一夜にして漆黒の頭髪が、悉く白毛と化した事が書いてあった。又、鉄製の樽の中へ入ってナイヤガラの滝へ飛込んだ男の話を聞いたことがある。その男は仕合わせにも大した怪我もせず、瀑ふを下ることが出来たけれど、その一刹那に、頭髪がすっかり白くなってしまった由である。凡そ、人間の頭髪を真白にしてしまう程ほどの出来事は、この様に、世にためしのない大恐怖か、大苦痛を伴っているものだ。

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神と仏がおうたなら
巽の鬼をうちやぶり
弥陀の利益をさぐるべし
六道の辻に迷うなよ

「孤島の鬼」江戸川乱歩
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